瀬戸内寂聴氏の似顔絵

「ほら、これ見てみれ。上手いだろう。」

と、生前、父は言いました。

私は、どなたの似顔絵か、察しがつきましたものの、一応「誰?」と聞きました。

「ほら、あれだ。テレビによく出てくる尼さん」

「瀬戸内寂聴?」

「そう、それ」

数年後、私は父のベッドから、その絵をとり出し、

「この女の人、有名な尼さんでしょ?」と尋ねたら、父の返答は

「知らねぇ。誰だ?そりゃ?」

「彼の名は」

 私の父親の名前は「薫」と書きます。日本だと一般的に「かおる」または「かおり」と呼ばれています。今なら「くん」と呼ぶ名前の人もいるかもしれません。父は違います。親戚を除き、父を知らない人に、父の名前を見せて、彼の本名を正しく言えた人に、今まで会ったこともありません。しかし、どこをどう見ても、「薫」の文字を、ああ読ませるのか、父が亡くなった今でも、首をかしげます。今でいうキラキラネームの走りでしょうか。
   生前、父が話してくれたことには、彼の親戚に学のある人がいて、薫と書いて「かおる」とは言わない読み方があり、それを名前に付けてもらったのだそうです。父の兄弟妹(私にとっては、おじやおば達)の名前は、ごく当たり前の文字を使って、その通りに読める名前なのに、父だけが、なぜか、どう考えても読めない名前でした。

 「薫」という文字の名前は、約1000年以上前の「源氏物語」にも出てきます。終盤の宇治十帖編の主人公の名前です。考えようによって古風な名前です。ここでは男性の名前として使われていますが、時代が下がると女性にも使われる名前です。
 父にとっての祖父母(私にとっては曾祖父母)が亡くなった後、我が家はすっかり貧乏になったとききます。父は高校卒業直前に中退して、東京に出稼ぎに行きました。親戚は「高校を卒業した」というのですが、父が生前、母に話した事には、高校中退後、大学入学資格検定(大検)に合格したそうです。それで大学入試を受けました。けれど仕事が忙しかったのか、合格することは無く、そのうち進学の気持ちも失せたみたいです。その母も今は亡く、真相は藪の中。
   上京してから、自分の名前の文字を見ても誰も本名で言われる事はなかったのか。母と結婚し、私が生まれ、その私が物心ついていたころには諦めたのか。父は自分の名前を「かおる」と言っていました。
   祖父母が年老いた事で、私達一家は、父の実家に戻りました。その際に、祖父母や父の親戚方から、私が「かおる」で慣れていた名前とは、全く違う名前で呼ばれていました。小さいころの私は、戸惑いました。それなのに、貯金通帳の名前や、保険証、電気、電話、その他の名前まで、父は「かおる」の名前で押し通していました。


   やがて、父が脳梗塞で倒れて、入院。通帳の引き落としや、諸々の手続きをするようになると、個人情報保護法が定着してきました。名前が違うことで、ずいぶん余計な手続きをさせられた覚えがあります。戸籍謄本を取寄せての親子証明は必需品でした。若い職員さんになると、すでに幼少のころから個人情報の流出を防ぐ考えを教育されている様子。父の名前が違うことで、本当に親子なのか?と疑われた目で見られた事も一度や二度ではありません。病院入院時の名前も、その後、介護施設に入った時の名前も、薫の漢字の上にルビが振られていました。以前の日本の社会は、今ほど個人情報に煩くなかったというのか、長閑だったというべきか。
   上京してから何十年も「かおる」と呼ばれ続けていたせいなのか、亡くなる三年ほど前に面会した折、

「俺の名前は、かおるだ」

と言いました。記憶の混濁が進んでいることに、私は少々動揺しました。
  

 父は2018年に亡くなりました。本名を公開しても良いか?と、父に聞いても、答えが得られないため、個人情報流出の阻止に則り、本名公開は控えます。


エッセイ・サークル「ふだん記 全国グループ」に投稿した文章に、少々加筆・修正したもの。

父の生けた花

生前、父が、施設で生けた生花です。

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